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あすの日本を考える会
題字:意上奴神社外十社宮司 大澤 邦彦
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サヨク言説を検証する(2)東京裁判を受諾?
【サンフランシスコ講和条約11条】
大東亜戦争での日本を絶対悪とする主張の多くが、は極東軍事裁判(東京裁判)で訴追された戦争犯罪をサンフランシスコ講和条約締結時に、盛り込まれた11条において裁判を受諾した=罪を認めた=罪は事実であるという論拠に立っている。
所詮は百人斬りであろうと南京大虐殺であろうと、あったという明確な証拠なく主張されているため、途中段階をはしょって「日本は認めているではないか」とするためにかような三段論法を持ち出してきているに過ぎない。
これら戦争犯罪の真偽については個別に論じるべきであって、同11条はいささかも関連性がない。
「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。」

11条が盛り込まれた背景アムネスティ条項
以下佐藤和男(国際法学者)監修『世界がさばく東京裁判』(明成社)より孫引
「戦争中に一方の交戦国の側に立って違法行為をおかしたすべての者に、他方の交戦国が責任の免除を認める」
C.G.フェンウィック(米国際法学者、1934年自著『国際法』にて)
※アムネスティ条項の実例
神聖ローマ皇帝とフランス国王およびそれぞれの同盟者の間の平和条約(ウェストファリア平和条約/1648年)
第二条〔免責〕
敵対行為が行なわれた場所,しかたを問わず,これらの戦乱の開始以来犯されたすべてのことについては,互いに永久に忘却,大赦,赦免が行なわれるものとする.それにより,いかなる口実のもとであろうと,何人たりとも互いに敵対行為を行なったり,敵意を抱いたり,問題を起こしたりすることは,身体,所有物,安全のいずれにかかわるものであろうとも,自らによっても他のものを使ってでも,密にでも公然とでも,直接にでも間接にでも,権利の旗印のもとにでも行為によってでも,帝国の領域内においても領域外においても,以前になされたそれに反するいかなる協定があろうとも,ないものとする.何人たりとも誰に対しても何らかの不正や害をなしたり,なされることを許したりしないものする.そうではなくむしろ,戦争以前または戦争中にそれぞれにおいて,生起したすべてのことは,言葉,文書,非道,暴力,敵対行為,損害,出費のいずれであろうと,〔被害を受けた〕人や物に関わりなく,完全に排されるものとし,それによりそのために互いに要求される,あるいは主張されるかもしれないすべてのものは永遠に忘却のうちに埋められるものとする
以降、多くの講和条約の中へ同様の条項が盛り込まれ、明文化されていないものについても同様の取扱いがなされている事は、国際慣習法上確立したものであるということになる。

当然のことながら、サンフランシスコ講和条約においても11条の既定が無いとするならば、極東軍事裁判においてなされた諸判決およびそのもたらす結果(服役中の戦犯等)は以降なかったものとして取り扱うということになる。
つまり11条はこれらの特赦を認めないという例外規定として機能しているのであって、その訴追内容を事実認定する性質の物ではない。

このことは昭和26年外務省西村条約局長の答弁
「戦犯に関しましては、平和条約に特別の規定を置かない限り、平和条約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向かって効力を失い、裁判がまだ終わっていない者は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。従って十一条はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によってなした裁判を承諾いたすということになっております」に見るとおりわが国も11条をそのように捉えておった事があきらかです。

ではなぜ、連合国というかアメリカは国際慣習を無視してまでこのような条項を作ったのであろうか。
アムネスティ条項がいわゆる「永遠の忘却」によって戦争当事国を戦勝国と敗戦国という関係で無くすることで平和と公正を実現するための物であるから、この逆であると考えればよい。
つまりは、一日も長く戦勝国と敗戦国の関係を維持し、占領終結後も準占領下においておきたいとする一方的な考えに立つのではないか。
それとも東京裁判自体が到底正当なものではなく後世の批判に耐えられるものではない事を自覚していたからこそ、一筆とっておきたいという表れだったのかもしれない。
このような国際慣習によらない不当な条項であっても、おそらく日本は飲まざるを得ないだろうという計算があったのは容易に推定できる。

誤訳という問題
「ジャッジメンツ」が諸判決という意味であり裁判とするのは誤訳であるとする前出の佐藤氏による主張はもっともであろう。
他の言語に翻訳されたものも判決、判決による結果に該当する語となっているからであるし、当時の外務省条約局課長であった藤崎万里氏自ら「昔のことなので、なぜジャッジメントつまり判決の受諾が裁判の受諾になったか、自分も覚えていない」と述べている
つまりは裁判の訴追内容に対する事実認定や裁判自体の正当性を受け入れるというような性質の物ではないのは誰の目にも明らかである。
ではなぜ、今現在外務省HPにおいて
外務省/歴史問題Q&A
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/09.html
Q.9 極東国際軍事裁判に対して、日本政府はどのように考えていますか。
2.この裁判については様々な議論があることは承知していますが、我が国は、サンフランシスコ平和条約第11条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しており、国と国との関係において、この裁判について異議を述べる立場にはないと考えています。

のように「裁判を受諾し」と誤訳のまま「異議を述べる立場にはない」となっているのかであろうか。
外務省林景一国際法局長の参議院予算委員会答弁「これは裁判という訳語が正文に準ずるものとして締約国の間で承認されておりますので、これはこういうものとして受け止めるしかないかと思います」
つまり条約正文として承認を受けたものである以上訂正できないのだと。
そして前出のアムネスティ条項にみる講和条約の性質上、講和条約締結以前の軍事行動(当然極東軍事裁判も含まれる)を批判することは国家としてしてはならなず、これらの肯定も否定もしないのだということである。

また、いわゆる戦犯とされた物の処遇について、その刑が終了したものについては国会において、犯罪人として扱わないとして名誉回復がなされ、国の催す追悼行事などでも一般の戦死者と同列に扱われていて、旧連合国からそれについての批判は行われていない。
このことは11条の効力が前項でのべた戦犯の刑を履行させるだけの為に存在し、刑の終了をもって11条の効果は終了している事を内外共に承認していることに他ならない。

以上の事から11条は国家として極東軍事裁判自体の正当性、およびそこでの訴追内容の事実認定を追認しているものではないということは明確である。

参考サイト
日本政策研究センター/日本は東京裁判の何を「受諾」したのか
http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=51
日本会議/日本は東京裁判史観により拘束されない―サンフランシスコ平和条約の正しい解釈
http://www.nipponkaigi.org/1700-rekishi/1730-01saiban.html
外務省/歴史問題Q&A Q9
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/09.html
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林氏講演会に寄せて
先日の当会主催による林伸伍氏による講演をスタッフの立場ではあったが、聴講した。

演題となった「戦争とは−自虐史観、東京裁判史観を払拭するための戦争論−」であるが、自虐史観、東京裁判史観の再検証を戦争の本質を考え、理解するところから行おうという試みであったため、非常に壮大な物となった。
なぜなら、国家および歴史における戦争とはいったいなんであるのか、という前提となる事柄だけでも世に数多の書籍が刊行されてきたわけであって、時間的、また空間的にその範囲は途方もなく広いからだ。

講演された林氏の気持ちはよくわかる。
自虐史観や東京裁判史観を一時点での戦勝国の国策であったり不当性であったりといったことで語るのではなく、その背景から考えようというのであり、そのためにはきちんと「戦争とは」という事にある程度の認識の一致が得られなければ、本題への端緒につくことできないのであるから、それこそ時間はいくらあっても足りなかっただろう。

また日を改めて、戦争論について書いてみることにします。
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